ドーナツの穴

ドリコムブログから移行しました。 これから整理する予定。

巨大地震

三点一一防災の反省

昨日はあの大震災のあった日だ。もう四年も経ってしまった。
一昨日、いい杯があったじゃないかと出そうとしたが見つからなかった。その前にはクリスタルの杯が確か三個あったはずと探したが見つからなかった。食器棚は倒れなかったが観音開きのだったので外に飛び出し大部分割れてしまった。観音開きではないガラスの引き戸の方もだらしない性格なのでちゃんと閉めて置かなかった。開いたところから中身が飛び出したが全部落ちるということはなかった。が、上の棚のガラス戸は二枚重ねになった内側が食器の圧力に負けて割れていた。しっかり閉めておいても結果は変わらなかったかもしれない。上の段に重い食器を入れてはいけないのだが、使用頻度とか、棚の深さ、高さで、ついこの鉄則を破っていた。

リンゴ用の段ボール箱二個分、割れた食器を捨てた。床一面に破片が散っていてとにかく早くと大急ぎで片付けた。何度も掃除をしたはずなのに一年経っても破片が足に刺さった。どこから出てきたのだろう?とても記録している余裕はなかった。そして記憶も薄れてきた。だから捜すのかな。

こうしてあきらめきれずに捜す食器がある反面、頂物の嫌いな食器は奥の方にしまい込んで存在さえ忘れ果てていたのに無事な姿で残って居て、更にがっかりさせられた。嫌いな食器は「割れた時の予備」の役割も果たさないことがわかった。とびきり使い勝手がよければ別だろうが。

助かった食器の中には流し台の中にいて、水切りかごの中にいて無事だった物がある。こういうのが運命って言うんだろうな。

自分の隣で本棚が倒れていたのも気づかなかった。物が壊れる音がひっきりなしで二つあった食器棚は倒れたに違いないと思った。倒れたのは震度7にも耐えられるというふれこみの突っ張り本棚だけだった。これはふれこみを過信して重い本を上の段にいれご丁寧に落下防止金具まで設置していた。この金具、ちょっと太めの針金みたいなものだが大きく歪んでいた。重い本が落ちていれば、本棚は倒れなかったかもしれない。ここでも重い本は下にの鉄則を破っていた。本の整理はまだついていない。

原発事故「収束宣言」、ほんまかいな

地震津波という天災に、原発事故の放射能汚染という人災、そこに加えて政治の不在という人災。政治不在が一番大きい災厄かもしれない。

今日、二週間ぶりにペットシェルターに行った。だいぶ数が減ってこちらは本当に収束に向けて準備中。数が減ったのは飼い主やいわゆる里親さんに引き取られたペットが増えたことによる。以前の暮らしと全く同じとはいかないだろうけれど、傍目のオイラも嬉しい。

で、このペットシェルターに運んでくれる人から頼まれ、被災ペットの飼い主、里親捜しのポスターを近所のスーパーに貼らせてもらうよう頼みに行った。近所のスーパーには原発で避難を余儀なくされた双葉郡相馬郡の方達の情報ステーションなる物が開設されている。そこに依頼に行った。

申請書類を書かされ、審査も通らないと貼りだしてもらえないらしい。オイラ中途半端な立場なんだよね。

家に帰ってペットシェルターを運営している団体名やらなにやらメモしてから出直した。するとさっき相手をしてくれた人は避難民らしい人の相手をしていた。話が終わるまで待つ。待っている間に別な係の人が避難民らしいご夫婦の相手を終えて話しかけてきてくれた。

原発立地町村に住んでいない郡山市民の感想を聞かれた。原発は怪しい、ない方がいいと思っているオイラでも、事故が起きればいいというわけではないが、悔しいけれど今回も何事もなく対処して事故なんか起こさない、押さえ込む物だと思っていた。東海原発、女川原発で放射能を検出したというニュースを聞いた時にも、福島原発の物だとは思わなかった。東海原発、女川原発が放射能漏れを起こしているのだと思った。知らないうちにオイラも原発神話に取り込まれたいたらしい。そして50キロも離れているのだから事故が起きてもここまで放射能が押し寄せてくるとは思わなかった。

双葉町民の係の女性は県外避難は考えていなかったそう。
原発事故で避難させられたけれど、結果的に放射線量が多めの郡山に避難先を決めたことについて聞いてみた。避難先の放射能のことは考えなかったようだ。買い物で何度か訪れいくらかなじみのある郡山に決めたそう。

避難しろ、と命令するだけでなく避難先もちゃんと用意するべきではないのか政府が。

この情報センターは原発避難者のコーナーという感じで、地元民には別世界。ここに見えない(たぶん心の)「バリア」を感じる。故郷に戻りたいと切に願っていたが、あきらめてもいるように感じた。

いつか帰りたい。そのいつかは、いつだろう。何世代も後のことかもしれない。何世代を経ても帰りたい気持ちをどう維持していくのか。どう仲間を残していくのか。

行政は全く当てに出来ない。どうしたらいいんだろう。

千年に一度なんて大嘘じゃん

今年3月に大地震があって、マグニチュード9とか何とか。千年に一度の大地震だと、ああ、そうだったのかと言うぐらいの恐怖を味わったわけだが。

テレビで「宝永大地震で 何チャラ」と番宣を見て、これはかの江戸時代初期に起きた大地震かしら?

江戸時代の街道は津波浸水域からぎりぎり外れて浸水しなかったのはその地震の経験を生かしたと言われている大地震かしら?

と興味を持って視聴した。

さかのぼり日本史 天下太平の基礎。宝栄地震、成熟社会への転換。

全く予想を外れていた。
道頓堀川を津波が遡った? 仙台じゃないのか?

とググってみれば全く違う地震であった。この宝永地震は1707年。関西方面で。
江戸時代のカイドウに影響を与えたのは慶長地震。1611年。なんと400年前ですよ宝永地震からはたったの100年前ですよ。

宝永地震ではなぜか富士山も噴火。千年前の貞観地震の時も富士山は噴火したらしい。うううむ

天災は忘れた頃にやってくる? 近く変動的に平和な時代だったのね。
って言うか阿武隈川で大水が出て堤防が決壊して「200年に一度の水がでも大丈夫」って胸を張った堤防がその12年後に大雨が降ってあっさり決壊しちゃったんだよね。 

やたら忙しがっているばかりで忘れっぽくなっているのかも、日本人。

オイラ今61歳。生きているうちには3.11以上の地震は来ないだろうと楽観してるけど。 これも甘い妄想なのかも。

天災

マグニチュード9の巨大地震と巨大津波、これは天災。誰もが認める。

もう一つの物も天災かもしれない。
原発、そして無能な政府。無能な政治家。無能な経済界トップ達。

政治家については、選んだ責任を言われる。そうだろうか?こんなのしか選べない仕組みを作って既得権益を死守している奴らの責任は何故追及されない?

投票率が30%にしかならないような選挙で選ばれた政治家は当然国民の信任を得ているとは言えない。

今にして思うんだ。もしかすると日本の国民といわれるその他大勢の一般人と、国のトップに君臨する「エリート」達とは人種が違うんじゃないかと。

日本は、「エリート」と言われる人達に占領されて、あるいは植民地にしか過ぎなくてと。

だから投票率を上げることに躍起になっているんじゃあるまいかと。
そのうち、100%が努力目標にされて、かり出されるんじゃあるまいか。


原発事故の処理を見ていると、日本国民は「金の亡者」に占拠されているだけで国民として命の安全、財産の安全、子供の将来の安全を守って貰ってはいないんじゃないかと。ただ金を搾り取るだけの対象に過ぎないんじゃないかと思えてくる。

だからこんな奴らに占拠されたこと、知らない間になってしまったこと、変えようがない(ここが重要)こと、で天災だと思うのだ。天災からも復興できるわけだから希望は捨てないけれども。



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「エリート」ってさっきググってみた。すると「選ばれし者」みたいな人のことらしい。「選良」とか?選良って議員さんのことじゃなかったのかな。言葉も形骸化する見本みたいだ。この選ばれし者は選ばれなかった人のために命を投げ出す人なのだとか???


すると日本を牛耳っている方々は自己保身がまず第一目的なので全然違う者だったね。


某週刊誌の広告に小学生の疑問

悪いのは東電ですか

政府ですか

国民ですかって。


ここに国民が入ってくるのか。この政府を選んだことが国民の責任になるのか。


形の上では確かに選んでいるかもしれない。でも本当に選んでいるのか。選び得ているのか。何かだまされている気がする。

チェルノブイリ

どうしても考えないわけにはいくまい、チェルノブイリ。

チェルノブイリにはならない、と言われ続けてきたわけだが、今となっては真実かもしれない。ならない、というのは未来のことだから。起っちまったことは、なったと言わねばならない。

又爆発があるかどうかは予断を許さないが、とりあえず小康状態。もう一度爆発したら100キロ退避とかになって追い出されるかもしれない。いや、たいしたことないって強弁するかもしれない。強弁しているうちは直ちに死ぬことは無さそう。

テレビに出てくるコメンテーターの学者さん達。
御用学者の何のと言われているが、この方達のメンツが揃っているうちは大丈夫かも。
櫛の歯が欠けるように出てこなくなったら海外逃亡を果たしたのかもしれないと疑心暗鬼になってみる?
枝野さんが会見に出てくるうちは大丈夫。
東電の会長が出てきているけど、一番危なかった時(14日から16日)にはどこにいたんだろう。社長は逐電していた(核シェルターに隠れていたのかも)。社長不在なら出てきても良さそうなのに、出てこなかった。一緒に核シェルターにいたのか。この人の姿が消えたら危ないのかも。

今となってはどこが安全とは言えないレベルなのかも。チェルノブイリの時もそうだった。ヨーロッパ産のチョコレートが叩き売りされていて、「チョコレートを食べると鼻血が出る」を経験した。先日、娘からスパゲティを食べる時お母さんはいつも放射能に汚染されてるから安かったと言ってたと。そんなことも忘れていた。ウクライナではずっと人口減に悩んでいるらしいが。日本も10年経ったら人口が半分になっているのかも。なんせ、地震津波とトリプルパンチ。単体で起きても大事故で国家の存亡が掛かるような危機なのに、国家の存亡が掛かるような「未曾有」の大災害に見舞われた直後。東電や国は微妙な言い回しがなんか隠しているんじゃないかと不安を煽り立てているが、実は何も隠していなくて、ちゃんと調べられないことを隠しているのかも。こっちの方が恐ろしいか。


それでこれから
微量放射線の影響については、実のところ何かを言えるほどのデータがないらしい。人体実験をするわけには行かないからと言うもっともな理由で。世界中の学者が福島の今後に注目しているだろうなあ。

ここに住み続けて、生き続けて10年後くらいまでは見届けたい。
福島県に住み続けると今までのような物流が途絶えるかもしれない。今のうちに自給自足の方法を、お勉強しているには時間がないので出来そうな人を一人でも二人でも見つけて教えを仰ごう。


大変不謹慎ですが、
放射能物質拡散シミュレーションというのを見ていると、最近は何故か日本国内近辺のしか見られないのだが、放射能物質らしい色の帯がぐるぐる回って千切れたり集まったりふくれたりしながらアメリカまで伸びているのを見て、ちょっぴり嬉しかった。偏西風頑張れ。って今は地球を一周してきたのが降っているという説もある。
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