ドーナツの穴

ドリコムブログから移行しました。 これから整理する予定。

神話の時代

気になる人を二人見た

同じ日に不思議な人を二人も見るなんて。

近くのお寺で鬼子母神祭りをやっていた。そこでではなく、いつものスーパーに買い物に行って。

スーパー入り口に自転車を止めて若い男性が犬に水をやっていた。犬は荷台の段ボール箱から頭だけを出してかなり苦労して水を飲んでいた。皿は直径15センチあるだろうか、陶器と見えたが、惣菜の空容器かもしれない。目を引いたのは足元に籠(ケージ)があって中に猫が入っていた。

男性は少し顔は垢じみているかもしれない。日焼けしているのかもしれない。髪の毛が赤いのは染めているのか日焼けしているのか。家出中の中学生か高校生なのだろうか。じっくり観察したいと思ったが買い物を済ませて出てみるともう居なかった。

家路をたどっていると前を若い女性が喪服姿で右手にフライパンの入ったスーパーの袋とビール一パック入れた袋とを持って歩いていた。黒いストッキングを履いた細い足が目を引いた。首の後に一つ結びにしたひっつめ髪、パールのネックレスが見えた。すると声が聞こえた。何か歌っていた。途切れ途切れでよくわからない。どんな歌を歌っているのだろう。こういう時にどんな歌を歌って自分を慰めているのだろう。何故か懐かしい。自分も葬式帰りのような気分になった。

葬式帰りにフライパン?
葬式帰りにビール?

そういえば葬式につきもののおみやげは持っていなかった。黒で決めていたけれど靴はエナメルだった。

魔夜峰央を見に新潟へ行った

本来の目的はビアズリー展だったのだが
イザ、いつ行く!か、決断できず、漫画家魔夜峰央が公演をするという5月28日を選んだ。

先着180名というのでお昼も食べないで待っていたが・・・・

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そして恐ろしく盛り上がらない講演会だった。一応『ビアズリーの魅力を語る』というタイトルがあるのだが。美術館の職員が映写幕にビアズリーと魔夜峰央の作品を並べて写しては感想を聞く。「嫌ですね」と、足元にも及ばないと謙遜していたが、共通点は色いろあるらしい。

家に帰ってぐぐってみたら、魔夜氏は新潟市の出身。だから来たのか・・・その辺りを話の糸口に、とは思わなかったのだろうか。

オイラのようなテレビ見てるだけの人、『パタリロ』はまだまだ連載中らしいがアニメが放送されてからだいぶ経つと既に過去の人のククリに区分けしている。その前に『パタリロ』自体マンガとして評価が高いわけではない。たぶん誰も「芸術的なマンガ」なんて言わない。一般人のオイラでさえキワモノ漫画家って見ているのに、芸術を相手にしている美術館員はどう評価しているんだろう。

往復高速バス代、5550円を遣って出かけた甲斐はあった。

魔夜峰央は職人気質で、腕の良い浮世絵職人よろしく、一ミリに10本の線を入れちゃう人らしい。美少年の睫毛は100本入れていると。そうなの?というわけで家に帰ってibookで『翔んで埼玉』を買った。自腹でマンガを買っているマンガ家は10名ほどしかいない。新たに一名増えた。

カッコウが鳴いた

今朝、五月二十五日朝、郭公の鳴き声で目を覚ました。初カッコウだ。

カッコーはご当地、郡山市の鳥ということになっている。

子供が中学生の時、ゴールデンウィークの前にカッコウ調査という紙を持ち帰った。何月何日の朝何時にカッコーの鳴き声を聞きましたか?という調査。それを集計して郭公の数を割り出すのだという。

今年は遅い。とても遅い。もう来ないかと思ったくらいだ。

カッコウが鳴くと早速、うぐいすも啼きわめいている。谷渡りというけたたましいさえずりが聞こえる。

今年、ホーホケキョより谷渡りのキョキョキョキョキョという声のほうが多く聞く。この辺りに新しい道路が通り、小鳥達のすみかだった林は切り刻まれてだいぶ狭くなった。道ができる頃には消滅しているだろう。鶯の鳴き声は来年も聞かれるだろうか。

除染が来る

ご親切にも我が家の敷地を除染してくれると、お知らせが来たのは昨年の11月だったと、随分前のことなので日付は忘れた。その時の予定では今年の9月いっぱいで終わるはずだった。今年になって、終了が12月31日にのび太。らしいお知らせが郵便受けに入れられていた。それっきりだ。

周りでは除染作業をしている。いつ、どういう順番で回ってくるのかかいもくふめい。庭の土を剥ぎ取るらしいので花の種も蒔けやしない。除染が終わってからゆっくりやろうなどと思っているうちに半年が過ぎようとしている。何の音沙汰もない。どうしたらいいのか。

剥いだ土を中間貯蔵施設に運ぶまでの間自宅待機させなくてはならない。その場所も悩みの種だ。庭の奥の隣家との境辺りにしようと思っていたが、経験した人から聞くと、重機で作業するので機械が入れるところでなくてはならない。道際の入り口ということになるそう。う〜ん、入り口に昔浄化槽があった場所がある。そこに埋めてもらえれば好都合なのだがコンクリートで固めてあるのでもしかするとそのまま放置されているのかもしれない。地面の下は見えない。どう配管が通っているのかわからない。

できれば、除染なんかしないでその費用をキャッシュで欲しい。そしたらそのお金を軍資金として一攫千金を狙うような度胸はないので屋根を吹き替える費用の一部にしたい。その方が放射線量も下がりそうなきがする。 

静かな正月

年末大晦日、午後9時。近くの神社仏閣を回った。二年参り的なものが始まっていないか?と
いう興味で。

静かな夜だった。人通りは元々少ない。加えて車の通りも少なかった。たまに一台二台と通り
過ぎている程度。みんな紅白見てるのかしら?

地元の神社仏閣、灯りが点り参拝客を迎える準備は整えていた。一つの神社で巫女さん衣装の
少女を撮影する親と、本殿へ向かう参拝客らしい人影を見た。

翌日元旦の市内の様子を見るべくドライブをした。
地元の神社仏閣は昨夜と同じ状況だった。昨晩人影のあった神社は今日も参拝客がいた。
例年、地元の参拝客ランキングで一位二位という神社の前には長い長い行列があって思わず笑ってしまった。なぜ笑ってしまったのか自分でもわからない。並んでいる人の中に着物の人(晴れ着)を目にしなかった。地味なのが今年の特徴? そういえば、正月飾りも少ない。あってもこじんまり。地味。

子供の頃長野県の郷里では熱心に生活改善運動をしていた。年末になると、門松が印刷されたお札が二枚配られてきた。それを玄関に貼って門松は立てるな。父はそれでは物足りないのか自分で小さな松飾りを作って飾っていた。そういう縁起物が売り物になって買えるのを知った時は驚いた。郷里では印刷門松を配るのはやめたみたいだった。

が、今年周りを見回してみると、門松の代わりに宿題の書き初めサイズの「謹賀新年」と印刷された紙を貼っている。お札と比べて大きいので一枚だけ。字だけの他、下に鶴亀とかめでたい物がカラーで刷り込まれている物もある。半世紀を経て生活改善運動が全国に広まったのだろうか?

静かな静かな神々しいくらいに静かな元旦だった。こういう清貧なお正月もいい。

ヒトは普段着で静かに新年を迎えていた。自分も晴れ着など着ないくせに晴れ着目撃皆無なのがちょっと気にかかる。晴れ着はテレビの中にだけいて悪はしゃぎしていた。こういうテレビの送る元旦が晴れ着を番組の衣装に貶めたのだろうか。

晴れ着を正月に着る習慣は消滅しつつあるのだろうか。
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