永島慎二の漫画
大学も卒業間近に友達に借りて読んだ。
作者らしい漫画家を中心にホームレスすれすれの人々の生活を描いたお話。
その中で大会社の社長なのだけどそれを捨ててフーテンの仲間になった老人の話が心に残った。その当時のオイラはのたれ死にはこの世でもっとも悪いことだと思っていたのだが、その老人はある日路上で倒れて死んでしまってもいいのだというようなことを雇われて探し当てた人物に話していた。この世で求める物は手に入れながらもっとも悪いことをかまわないと言っている。そんな生き方があるのだろうかと。当時のオイラは立身出世がすべてだと思いこまされていたのだった。
それから何年かして文庫本を手に入れた。だいぶ印象は違っていたがその老人の話は違っていなかった。邯鄲夢枕のような人生の幸福を考えさせられる。
その本を返しに学校へ行って夫になる人に出会った。
この世にこんな綺麗な男が居るのだろうかと、ぞっこん惚れてしまった。見かけと中身は違うと頭ではわかっていたつもりだったが、実際の所はわかっていなかった。つまりその男には心がなかった。あるいは魂がなかった。このごろやっとそのことがわかった。オイラは魂を吹き込まねばならなかったのにそんなことは思いつきもしなかった。
運がなかった。
運はなかったが、立身出世もしなかったが、
人生の幸福という面から見たらどうなのだろうか。
実際まあまあなのではないか。幸福な部類にはいるのではないか、オイラ。
定職もなく、家もなく親の家に寄生して、くみ上げられた社会の仕組みの中では落伍者になるかもしれないが。
大学も卒業間近に友達に借りて読んだ。
作者らしい漫画家を中心にホームレスすれすれの人々の生活を描いたお話。
その中で大会社の社長なのだけどそれを捨ててフーテンの仲間になった老人の話が心に残った。その当時のオイラはのたれ死にはこの世でもっとも悪いことだと思っていたのだが、その老人はある日路上で倒れて死んでしまってもいいのだというようなことを雇われて探し当てた人物に話していた。この世で求める物は手に入れながらもっとも悪いことをかまわないと言っている。そんな生き方があるのだろうかと。当時のオイラは立身出世がすべてだと思いこまされていたのだった。
それから何年かして文庫本を手に入れた。だいぶ印象は違っていたがその老人の話は違っていなかった。邯鄲夢枕のような人生の幸福を考えさせられる。
その本を返しに学校へ行って夫になる人に出会った。
この世にこんな綺麗な男が居るのだろうかと、ぞっこん惚れてしまった。見かけと中身は違うと頭ではわかっていたつもりだったが、実際の所はわかっていなかった。つまりその男には心がなかった。あるいは魂がなかった。このごろやっとそのことがわかった。オイラは魂を吹き込まねばならなかったのにそんなことは思いつきもしなかった。
運がなかった。
運はなかったが、立身出世もしなかったが、
人生の幸福という面から見たらどうなのだろうか。
実際まあまあなのではないか。幸福な部類にはいるのではないか、オイラ。
定職もなく、家もなく親の家に寄生して、くみ上げられた社会の仕組みの中では落伍者になるかもしれないが。
フーテンとは今では死語かもしれない。
今から3,40年前は今と比べて貧しい住宅事情だった。フーテンはその日暮らしで、家(部屋)も借りられなくて、借りられる友人の所を転々と泊まり歩いたりしている感じがする。
3畳一間を借りていたときもあった。神田川の世界だ。その先にフーテンもいた。紙一重の時代だったのだ。今よりずっと漂っていた気がする。「さすらい」の時代だった。それが1970年半ばまで続いた。そのころ霞ヶ関ビルが建って、乞食も見かけなくなった。
今のホームレスはフーテンに比べればホームレスですらなくカタツムリのように家をしょって歩いている感じがする。縄張り争いをしてみたり、けっこう定住している感じがする。建築基準法に合致しない家だからホームレスかもしれないが、フーテンの時代には建築基準法がやっと整備され始めた頃で橋の下でという暮らしもフィクションではなかったのだ。
今から3,40年前は今と比べて貧しい住宅事情だった。フーテンはその日暮らしで、家(部屋)も借りられなくて、借りられる友人の所を転々と泊まり歩いたりしている感じがする。
3畳一間を借りていたときもあった。神田川の世界だ。その先にフーテンもいた。紙一重の時代だったのだ。今よりずっと漂っていた気がする。「さすらい」の時代だった。それが1970年半ばまで続いた。そのころ霞ヶ関ビルが建って、乞食も見かけなくなった。
今のホームレスはフーテンに比べればホームレスですらなくカタツムリのように家をしょって歩いている感じがする。縄張り争いをしてみたり、けっこう定住している感じがする。建築基準法に合致しない家だからホームレスかもしれないが、フーテンの時代には建築基準法がやっと整備され始めた頃で橋の下でという暮らしもフィクションではなかったのだ。