投票率がとやかく言われる昨今だが、かつては90%を超える時代もあった。それはそれで投票に行かないと村八分になりそうなうっとうしい気もするのだが。

いささか面識のある人がなぜ立候補したかの理由に、父親が郡山市の助役をしていたからと書いてあった。父親が仕えていた市長は選挙で落選、それが投票率92%の選挙だったのだ。

50年前の市長選挙はいかなるものであったかに興味をかき立てられて図書館で選挙戦のスクラップブックを読んできた。



50年前(昭和34年)は、選挙権そのものについての説明、注意の記事が多かった。普通選挙が始まって10年くらいしかたっていないから、やむを得ない。でも、「住所が無くても選挙権はあります」ってのはどういうことなんだろう。

県議会や市議会の議員の選挙も同時に行われていたみたいで、すさまじい選挙戦だったらしい。おいら当時9歳。所は変われど、すっかり忘れていたがそれなりに熱狂していた親たちの姿が思い出される。以来何度も親たちは歯ぎしりしていた。つまり得票率51%で勝った方がすべてを握る理不尽。議席数で国民の信任を得ているという思い上がり、投票率が低いとか、政治に関心が薄いとか嘆いてみせるだけでなく、自ら襟を正してほしい。(国民の関心が薄いが故に既得権益の継承確保存続が横行しているんでしょう?)選挙費用を誰がいくら遣ったかの記事まであった。

選挙に国民は期待していたんです。
投票で国がよくなると信じていたんです。
公明選挙で清く正しい人を送り出したいって本気で思っていました。

50年前の選挙では、3選阻止が一つの争点だったらしい。 候補者は3人。現職、前回惜敗した次の市長になった人(驚いたことに社会党公認)、出遅れ気味の自民党公認の市議会議長。
それに関する怪文書。
1.3選させた後の退職金があまりに高額になるので阻止すべきである。
1.3選させれば退職金○○○万円の必要が無くなり、その退職金を銀行に預けて年に6部の利息が付くと○○万円のお得になる。だから3選させるべきである。
1.対立市長候補と同じ政党の市議候補のところへ市長の兄が督促に回っている(この件は訴訟され敗訴したらしい、つまり事実無根のデマだった)
誹謗中傷ビラも盛んにまかれたらしい。それが訴訟に発展。訴訟合戦も盛んだったらしい。

ほかに現職には市民会館建設の備品(映写機)購入に絡んで疑惑があるとされていた。今回の公開討論会で新人候補氏が助役として市民会館建設に尽力しましたと誇らしげに話した時一瞬しらッとした空気が流れたわけがわかった。

今回の選挙で新人は公約に市長の報酬カットとか退職金返上を入れた。かなりの衝撃ではあったようだが共感は得られなかったらしい。

今回の誹謗中傷ビラに関して時代が逆行しているとことのほか抵抗が強かったように感じられた。

そして市長に選ばれた人の勝因。
前回も市長選に出ていて、わずか200票足らずの僅差で敗れたことに対する同情と誹謗中書合戦に加わらなかった好感度だそう。