年末大晦日、午後9時。近くの神社仏閣を回った。二年参り的なものが始まっていないか?と
いう興味で。

静かな夜だった。人通りは元々少ない。加えて車の通りも少なかった。たまに一台二台と通り
過ぎている程度。みんな紅白見てるのかしら?

地元の神社仏閣、灯りが点り参拝客を迎える準備は整えていた。一つの神社で巫女さん衣装の
少女を撮影する親と、本殿へ向かう参拝客らしい人影を見た。

翌日元旦の市内の様子を見るべくドライブをした。
地元の神社仏閣は昨夜と同じ状況だった。昨晩人影のあった神社は今日も参拝客がいた。
例年、地元の参拝客ランキングで一位二位という神社の前には長い長い行列があって思わず笑ってしまった。なぜ笑ってしまったのか自分でもわからない。並んでいる人の中に着物の人(晴れ着)を目にしなかった。地味なのが今年の特徴? そういえば、正月飾りも少ない。あってもこじんまり。地味。

子供の頃長野県の郷里では熱心に生活改善運動をしていた。年末になると、門松が印刷されたお札が二枚配られてきた。それを玄関に貼って門松は立てるな。父はそれでは物足りないのか自分で小さな松飾りを作って飾っていた。そういう縁起物が売り物になって買えるのを知った時は驚いた。郷里では印刷門松を配るのはやめたみたいだった。

が、今年周りを見回してみると、門松の代わりに宿題の書き初めサイズの「謹賀新年」と印刷された紙を貼っている。お札と比べて大きいので一枚だけ。字だけの他、下に鶴亀とかめでたい物がカラーで刷り込まれている物もある。半世紀を経て生活改善運動が全国に広まったのだろうか?

静かな静かな神々しいくらいに静かな元旦だった。こういう清貧なお正月もいい。

ヒトは普段着で静かに新年を迎えていた。自分も晴れ着など着ないくせに晴れ着目撃皆無なのがちょっと気にかかる。晴れ着はテレビの中にだけいて悪はしゃぎしていた。こういうテレビの送る元旦が晴れ着を番組の衣装に貶めたのだろうか。

晴れ着を正月に着る習慣は消滅しつつあるのだろうか。