ドーナツの穴

ドリコムブログから移行しました。 これから整理する予定。

浪々悔悟 2

ミステリー

ナナコが消えた。

気分的には目の前から突然。

古新聞を持ってナナコエコポイントを得るべく、カードをピッ!

そして新聞投入、この時縛りが甘くて新聞が紐からこぼれそうになった。それを押さえつつ、回収箱へ。
新聞の重さを量り、ポイントが確定して、いったいいくら貯まったか? と、ポイント残高を見ようとしてナナコがないことに気づいた。

ポケットにもない。
財布にもない。
バッグにもない。

いったいどこへ? 新聞の中に紛れ込んだかと回収箱の中から引っ張り出して一日分ずつ振ってみたが出てこず。

本当に、本当に、どこへ消えた。

常日頃、中身がこぼれるような緩い結び方をしないようにと心がけてきたのに、今日はバッグに入れていくからと紐をけちって、一重巻きで交差のところも止めなかった。こんな紐の縛りかたではと、バッグに詰めながら苦笑いしていたというのに、

古新聞の中に紛れたのなら、再発行料300円で残高は引き継がれる。
もし、気づかないうちに誰かに拾われたのなら、残高はゼロになるだろうな。それなら再発行する必要あるだろうか?

紛失届をして三日後に使用停止にするとか。その時の残高を引き継ぐそうだ。スーパーで落とし物のお願いはしたが、、

まあ、三日後なんだからじたばたしてもはじまらない。万一戻ることに期待しよう。今夜10時まで。

2016年も一ヶ月が過ぎた

大変大変久しぶりのブログ。

そうこうしているうちに年は過ぎ、新年を迎えたと思ったらもう2月である。

何故か一ヶ月を無駄にすごいたという気持ちになる。
新しい年、今年はうるう年なので366日を新たに手に入れた気分になる。

そして勝手に無駄に費やしたという感想を持つ。まったくの錯覚。まったくの妄想。

本当は一ヶ月という歳月を積み上げたのだ。自分の人生に。そして66歳になってしまった。

色々と欲はあり、、やりたいこと(妄想暴走)、やらねばならぬこと(身辺整理)、あるのだが体がついて行かない。気持ちも奮い立たない。老年を迎えるとはかくも悲しいものなのだ。

とはいえ、この1月に、
7日堂参り、団子挿し、相撲見物、年金に加算金が付くというのでその手続、京極夏彦やACC CMフェステバルを見に行ったり、郡山市のふれあいコンサートを聞きに行ったり、新しい手帳に細々としたメモを書き写したりということをした。

昨年貯めたパンフレットの整理にも着手した。その厚さ、スクラップブックを越え、どう捨てるか決断がつかずにいる。

今年はなるべく、ネットに書き込もうと思う。


そうそう、大晦日に思いがけない体験をした。突然、松飾りを飾りたくなった。一日飾りは忌みごとの部類であるが売れ残りの松飾りを買って玄関に掲げた。忌みごとの部類なので三が日の後には外した。なんだろう、喪が明けたみたいな?

除染が来る

ご親切にも我が家の敷地を除染してくれると、お知らせが来たのは昨年の11月だったと、随分前のことなので日付は忘れた。その時の予定では今年の9月いっぱいで終わるはずだった。今年になって、終了が12月31日にのび太。らしいお知らせが郵便受けに入れられていた。それっきりだ。

周りでは除染作業をしている。いつ、どういう順番で回ってくるのかかいもくふめい。庭の土を剥ぎ取るらしいので花の種も蒔けやしない。除染が終わってからゆっくりやろうなどと思っているうちに半年が過ぎようとしている。何の音沙汰もない。どうしたらいいのか。

剥いだ土を中間貯蔵施設に運ぶまでの間自宅待機させなくてはならない。その場所も悩みの種だ。庭の奥の隣家との境辺りにしようと思っていたが、経験した人から聞くと、重機で作業するので機械が入れるところでなくてはならない。道際の入り口ということになるそう。う〜ん、入り口に昔浄化槽があった場所がある。そこに埋めてもらえれば好都合なのだがコンクリートで固めてあるのでもしかするとそのまま放置されているのかもしれない。地面の下は見えない。どう配管が通っているのかわからない。

できれば、除染なんかしないでその費用をキャッシュで欲しい。そしたらそのお金を軍資金として一攫千金を狙うような度胸はないので屋根を吹き替える費用の一部にしたい。その方が放射線量も下がりそうなきがする。 

ボウリング ますます続くぬかるみぞ

まあ、タイトルはひどいですが、ボウリングの悪口ではありません。ボウリング教室では血圧を測らされる。すごっく高く出るからびっくりしないでねと、指導のプロから言われているけれども上は二百すれすれ、下も百を超えるとか、心配しないほうがどうかしている。

ということで血圧計を買った。ここがぬかるみね。


自宅で測るとそれほど高くはでないが、朝が高い。特に下が百すれすれというのが気になる。ずっと低血圧だと思っていた自分の体だけれど加齢とともに変化しているらしい。最近他人の手に触れる機会があって、自分的にはありえないことに他人の手が冷たく感じる。大抵自分より高齢の人なので死人の手みたいという感想が先にたつけれどこれも加齢による変化かもしれない。しもやけにならなかったのも、血圧高めのおかげ?


一気に逝ってしまうのはある意味望むところではあるものの。そうは問屋が卸さないぞと。

三点一一防災の反省

昨日はあの大震災のあった日だ。もう四年も経ってしまった。
一昨日、いい杯があったじゃないかと出そうとしたが見つからなかった。その前にはクリスタルの杯が確か三個あったはずと探したが見つからなかった。食器棚は倒れなかったが観音開きのだったので外に飛び出し大部分割れてしまった。観音開きではないガラスの引き戸の方もだらしない性格なのでちゃんと閉めて置かなかった。開いたところから中身が飛び出したが全部落ちるということはなかった。が、上の棚のガラス戸は二枚重ねになった内側が食器の圧力に負けて割れていた。しっかり閉めておいても結果は変わらなかったかもしれない。上の段に重い食器を入れてはいけないのだが、使用頻度とか、棚の深さ、高さで、ついこの鉄則を破っていた。

リンゴ用の段ボール箱二個分、割れた食器を捨てた。床一面に破片が散っていてとにかく早くと大急ぎで片付けた。何度も掃除をしたはずなのに一年経っても破片が足に刺さった。どこから出てきたのだろう?とても記録している余裕はなかった。そして記憶も薄れてきた。だから捜すのかな。

こうしてあきらめきれずに捜す食器がある反面、頂物の嫌いな食器は奥の方にしまい込んで存在さえ忘れ果てていたのに無事な姿で残って居て、更にがっかりさせられた。嫌いな食器は「割れた時の予備」の役割も果たさないことがわかった。とびきり使い勝手がよければ別だろうが。

助かった食器の中には流し台の中にいて、水切りかごの中にいて無事だった物がある。こういうのが運命って言うんだろうな。

自分の隣で本棚が倒れていたのも気づかなかった。物が壊れる音がひっきりなしで二つあった食器棚は倒れたに違いないと思った。倒れたのは震度7にも耐えられるというふれこみの突っ張り本棚だけだった。これはふれこみを過信して重い本を上の段にいれご丁寧に落下防止金具まで設置していた。この金具、ちょっと太めの針金みたいなものだが大きく歪んでいた。重い本が落ちていれば、本棚は倒れなかったかもしれない。ここでも重い本は下にの鉄則を破っていた。本の整理はまだついていない。
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