地震津波という天災に、原発事故の放射能汚染という人災、そこに加えて政治の不在という人災。政治不在が一番大きい災厄かもしれない。

今日、二週間ぶりにペットシェルターに行った。だいぶ数が減ってこちらは本当に収束に向けて準備中。数が減ったのは飼い主やいわゆる里親さんに引き取られたペットが増えたことによる。以前の暮らしと全く同じとはいかないだろうけれど、傍目のオイラも嬉しい。

で、このペットシェルターに運んでくれる人から頼まれ、被災ペットの飼い主、里親捜しのポスターを近所のスーパーに貼らせてもらうよう頼みに行った。近所のスーパーには原発で避難を余儀なくされた双葉郡相馬郡の方達の情報ステーションなる物が開設されている。そこに依頼に行った。

申請書類を書かされ、審査も通らないと貼りだしてもらえないらしい。オイラ中途半端な立場なんだよね。

家に帰ってペットシェルターを運営している団体名やらなにやらメモしてから出直した。するとさっき相手をしてくれた人は避難民らしい人の相手をしていた。話が終わるまで待つ。待っている間に別な係の人が避難民らしいご夫婦の相手を終えて話しかけてきてくれた。

原発立地町村に住んでいない郡山市民の感想を聞かれた。原発は怪しい、ない方がいいと思っているオイラでも、事故が起きればいいというわけではないが、悔しいけれど今回も何事もなく対処して事故なんか起こさない、押さえ込む物だと思っていた。東海原発、女川原発で放射能を検出したというニュースを聞いた時にも、福島原発の物だとは思わなかった。東海原発、女川原発が放射能漏れを起こしているのだと思った。知らないうちにオイラも原発神話に取り込まれたいたらしい。そして50キロも離れているのだから事故が起きてもここまで放射能が押し寄せてくるとは思わなかった。

双葉町民の係の女性は県外避難は考えていなかったそう。
原発事故で避難させられたけれど、結果的に放射線量が多めの郡山に避難先を決めたことについて聞いてみた。避難先の放射能のことは考えなかったようだ。買い物で何度か訪れいくらかなじみのある郡山に決めたそう。

避難しろ、と命令するだけでなく避難先もちゃんと用意するべきではないのか政府が。

この情報センターは原発避難者のコーナーという感じで、地元民には別世界。ここに見えない(たぶん心の)「バリア」を感じる。故郷に戻りたいと切に願っていたが、あきらめてもいるように感じた。

いつか帰りたい。そのいつかは、いつだろう。何世代も後のことかもしれない。何世代を経ても帰りたい気持ちをどう維持していくのか。どう仲間を残していくのか。

行政は全く当てに出来ない。どうしたらいいんだろう。