新年も既に12日になった。郡山の七日堂参りも郷里の八日堂参りも終わった。

七日堂参りは六日にちょっとだけ覗いてみた。半端ではない(観音堂へのお参り)行列に恐れをなしてお参りはしなかった。郡山へ転居して10年ほど、如宝寺の近くに住んでいた。毎年七日堂参りの頃は雪が降ってビシャビシャ歩く音がやかましかった。鐘の音も夜中まで続いた。今年は底冷えのする寒さだけで溶ける雪はなかった。ひたすら寒い。アスファルトの上を小雪が転げる。

八日堂は今では遠い所になった。時々いつか歩いたお参りの道筋をたどっている自分が居る。何年か前凍り付いた道を滑らないように歩いて膝が痛むようになった。


今年で63になる。還暦なんかとっくに過ぎてしまった。
年を取ったせいか年越しの感激が消えてしまって浮かれまくっている世間様(主にマスコミ、マス商業)を苦々しく眺める年末年始となっている。

暮れのある日ラジオを入れると「年越しのしきたり」を護っているという人が年越しの習慣についてしゃべっていた。普段はこういう話は聞きたくないのでスイッチを切る。がこの日は聞いてしまった。ラジオで放送局から電話かなんかで話を聞かれる人は「きちんとした立派な人」が基本。そういう人が苦手なのだ。つい我が身を引き比べる。そして劣等感に襲われる。

が、この日聞いてしまった。色々としきたりがあるらしい。面倒くさい。しかし、

こうして新しい年を迎えるという気持ちを高めていくんですね。

と。

そうか、新しい年は勝手にやってくるんではないんだ。
色々、色々、意味不明に見えるしきたり(我が家憲法、年中行事)を作り出して、それを一つ一つ実行することで気分を盛り上げていく。

目から鱗とはこういうことか。

そうだ、新年がわくわくと迎えられたのは親の庇護の下でだった。親はそうして新しい年を迎えるという気分を盛り上げてくれていたんだ。と初めて気づく。

時間に切れ目はない。昨日と同じ、今と同じに時は流れていく。そこに境目というか切れ目というか、そういう物をもうけて、自分の気持ちを切り替えることが大切。そんなことも知らなかった。

にしても、今の商業、お正月を迎えるという気分までも消費していく。